鳥をめぐる思い出
大阪市立大学名誉教授 磯江幸彦
数十年前に少年期を過ごした郊外の我が家は、田んぼや果樹園、雑木林に囲まれ、自然は実に豊かでした。10数種のトンボをはじめ、多くの昆虫や野鳥、小動物はごく普通に見ることができ、時には捕まえて殺生なことをしながらも、つぶさに観察する機会に恵まれ、弱い生き物を慈しむ心や好奇心はその頃に育まれたと思います。ある時、一羽のスズメをトラップを仕掛けて捕まえ、その指の爪が異常に長く伸びていたので、鋏みで短く切ろうとしたところ、毛細血管まで切ってしまって、小さな血の滴りがしばらく止まらず、涙して謝ったこと、納屋に飛び込んできたフクロウを網で捕まえ、カナリヤ飼育用のケージに入れ、友達を呼んで自慢げに見せていたところ、2日後にあえなく死んでしまったことなどの悲しい思い出の一方で、川辺の杭にきまって止まっていたあの翡翠色に輝くカワセミの、人影を察して川面を一直線に飛び去る美しい姿は、いつまでも脳裏に焼きつき、その感動は今の「鳥を見る、自然を観る、地球を診る」世界旅の原点となっています。鳥見の旅を始めて間もなく、アメリカの首都ワシントンの国立動物園を訪れ、世界各国の鶴のケージを見て回っていたときの事、タンチョウの番が細長いケージの奥から私と家内の方に向かってあの特徴的な甲高い鳴き声をあげ、ダンスをしながら近付いて来たのには胸が熱くなる思いでした。何年ぶりかに日本人に合えた喜びを体一杯に表現したのではと思えてなりません。再会を楽しみにしていると同時に、関係者にも履歴を尋ねてみたいと思っています。
好奇心のおもむくまま、自然がどこにでもあった子供のころの原風景を求めての旅はこれからも続きます。
(いそえ さちひこ)
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