動物園の仕事は本当に面白いです。毎日というわけではないけれど、突然の事件がポンと目の前に用意されていたりします。2003年10月18日の朝の出来事も、まさに動物園的大事件でした。
チンパンジ−・アップルの出産・成長の経過は本誌の7月号で報告する予定なので、ここでは出産直後の様子と私の個人的な思いを書かせてもらいます。
4月にオランウ−タンの担当になり、チンパンジ−担当者が休んだ日は彼等も併せて飼育業務をする悪戦苦闘の毎日を送っていました。その日は担当者が休みで、朝いつものように一頭ずつチンプの部屋を回り始めました。アップルはいつのように部屋の奥で寝ながらこちらに挨拶していました。しかし、柵や部屋の壁がとても汚れていました。「ん・・?」と思いながらも次の部屋に向かう時に、ふと「流産」というのが頭をよぎりました。運動場で同居している雄のレックスがまだ若いとはいえ妊娠する可能性がゼロではありません。「産まれるかもしれんで。」と冗談と期待まじりでいつも話をしていたからです。あわてて引き返して見ると、アップルが赤ちゃんを見せるように抱えて柵のところに来てるではありませんか!
「産まれたんか。一人でちゃんと産んだんか!」
うんうんと首を縦に降っていたアップルの顔が今も思い出されます。
アップルはとても落ち着いていて子供も呼吸をしていたから、あわてて(もちろん、こういう時こそ落ち着いてと自分に言い聞かせながら)朝の作業を終わらせました。他のチンプ達を運動場に出した後、様子を見に行くとまるで何年も前から抱いているような慣れた手つきで赤ちゃんを支えていました。優しく赤ちゃんを抱き落ち着き払った態度と、大量の血とお産の臭いがなんとも対照的に感じられました。アップル親子を隣に移し、清掃するために入った部屋の中は外から見るよりはるかに壮絶な修羅場と言ってもいい雰囲気でした。壁一面に塗られた血糊、大量の粘液と血。体内で子供を育む哺乳類の出産というのは、こんなにも激しい痛みや血を伴うものなのです。おそらく母なるものの偉大さや優しさは、こういう血や肉の痛みの中から産まれるものなんですね。壁の血糊を擦りながら、そういう優しい気持ちを感じたような気がしました。
こういう経験ができるから飼育係はやめられないんですよね。
飼育課 早川 篤
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