飼育課:油家 謙二


新設されたゾウ舎で砂浴びする春子
 天王寺動物園は来年開園90年周年を迎えますが、その歴史の半分以上を知っている春子というメスのアジアゾウがいます。この春子について少しお話したいと思います。
 春子は、1950年4月15日に船でタイの港から大阪の天王寺動物園にやって来ました。もう半世紀以上前のことで春子の正確な誕生日や出生地の記録は残っていませんが、来園時推定2歳であったとのことでした。
 1950年といえば、第二次世界大戦が終結してまだ数年しか経っておらず、大阪の町もあちこちに戦争の傷跡が残っていました。上野動物園の「かわいそうな象」というお話をご存知の方も多いと思いますが、上野動物園では戦時中、軍の命令で猛獣の殺処分されたり、餌の不足で多くの動物が栄養失調になり死亡しました。上野動物園だけではなく、実は日本の各地の動物園でも同じような状況でした。天王寺動物園も猛獣や大型動物のいない、寂しい時期でありました。
 そんな時期に大阪の人たちを元気づけようと、遠い国から春子は遥々やって来たのです。また、同じ年の6月5日には、春子の妹分のユリ子というメスゾウもやって来て、にわかに天王寺動物園はにぎやかになり、春子ユリ子のコンビでお客さんを魅了し、当時の入園者数はかなりの数だったようです。2頭の子象が成長していくのに合わせるかのように、大阪の町も復興してゆきました。
 2頭の来園から20年後の1970年には、大阪で万博が開催され、これを記念して5月3日にインドからラニー博子というメスのアジアゾウが贈られ、仲間に加わりました。ちなみに、ラニー博子の“博”は博覧会の“博”の文字から取ったものです。
 こうして天王寺動物園に、3頭のアジアゾウが生活するようになりましたが、ゾウの社会には厳しい上下関係があり、3頭の中で一番先にやってきた春子がリーダーになり、他の2頭は春子に頭が上がらず、餌や水をもらう時には常に春子が一番にもらい、一番下位のラニー博子は急いで食べないと、自分の分を食べ終えた上位の春子ユリ子に取られていたようです。
 そう聞くと意地悪なリーダーのように感じますが、そういうことばかりではなく、例えばユリ子ラニー博子がケンカしそうになれば仲裁に入ったり、ラニー博子がグランドで横になれば側まで行き日陰を作ってあげたりと、さすがリーダーと思わせる行動もよく見られました。
角膜が白くなり見えなくなった右目
 今では、50年近くコンビを組んでいたユリ子に先立たれ、(2000年5月19日に老衰のため死亡)力をつけてきたラニー博子にプレッシャーをかけられ、おまけに右目の角膜が白く濁り見えなくなってしまい、本人さえも年を感じているような日常ですが、戦後間もない頃から現在まで、お客さんの前に出て、動物園動物として現役でいるのはすごいことではないでしょうか。
 年を召されたお客さんが春子の年齢を知り、自分が子供の時に見たゾウが春子だとわかり、驚かれることもしばしばです。これからも1日でも長く現役を続けてほしいと思います。