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お婆さんになっても食欲は旺盛な春子。
これからも元気でね。
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現在、天王寺動物園では春子(推定57歳)とラニー博子(推定37歳)という2頭のメスのアジアゾウを飼育しています。昨年1月31日にオープンしたアジアの森ゾウ舎でご覧いただくことができます。
本年1月1日に天王寺動物園は、開園90周年を迎えました。90年の歴史の半分以上の55年を見てきたのが春子です。天王寺動物園の中で職員はもとより誰よりも長くこの天王寺動物園で暮らしてきたのが春子です。そんな春子について少し書いてみたいと思います。
春子って何だろう
春子が大阪にやって来たのは、あのいまわしい戦争が終わって間もない1950年のことでした。まだ、大阪には焼け野が原が残り、街も人々の暮らしも、やっと復興の兆しが見え始めた頃でした。戦争で荒んだ人々の心に希望と勇気また生きる力を与えたのが春子でした。また、高度成長期には来園者にゆとりと安らぎを感じさせてきました。現在もギクシャクした世の中で疲れ、荒んだ心を癒してくれているのではないでしょうか。天王寺動物園を訪れ、静かに老いたゾウを見ている。そんな風景によく出会います。
私が春子と関わりを持つようになったのは、もう22年も前になる1983年のことでした。春子が34歳、丁度脂の乗りきったバリバリのゾウで、新人だった私は、よく水や鼻水をかけられました。
私にとって春子はお婆ちゃん。ちょっと昔かたぎ、でも、仕事や家のことで悩んだり、落ち込んだ時に春子の横に行き、「しんどいわ」とつぶやくと、軽く耳をパタつかせて「小谷君、まあまあ、あんまり無理せんと、力抜かなあかんで」と言っているようにそっと寄り添ってきます。
春子って母親。「あんた、仕事ちゃんとせなあかんで」ときびしいけど、ちょっとわがままを聞いてくれる。
春子って妹。ちょっと、ちゃめっ気もあるが、甘えん坊。私のそばに寄ってきて何をするのかなあ思っていると私の肩にあごを乗せて、うたた寝。「何をするんじゃ!」と思うけど、「まっ、いいか」という感じ。
春子って娘。ずーっと箱入り娘のままだけど、妙に憎たらしい。でも、やたら可愛い。
そんないろいろな面を見せてくれる春子なのです。
春子と同居人(ゾウ)ラニー博子
現在、春子と同居しているのはラニー博子というメスです。よく来園されたお客さんから聞かれることがあります。「どうして、一緒にしていないのですか?」実は春子とラニー博子は、とても仲が悪いのです。本来ゾウは、母系家族で、メスとその子供で群れを構成しています。リーダーのメスが群れを統率し、互いに仲間意識を持ち、協力して生活しています。
春子とラニー博子は2頭とはいえ一応群れといえます。以前は春子がリーダーだったのですが、年齢を重ねるうちに、春子の力が衰えはじめ、一方、ラニー博子がメキメキ力をつけてきたので「自分がリーダーだ」と主張し始めたのです。このため、2頭の間で「私がリーダー」「いや、私がリーダー」というように、いがみ合いが始まり、闘争が激しくなってきました。2頭を一緒にすると春子はストレスで軟便をするようになったので、同居は困難と判断し、別々に展示するようになったのです。でも、不思議なことに妙にお互いに意識しているようで、春子が体調をくずすとラニー博子が普段と異なり気を使っている様子が見られます。お互いに依存しあっているようです。普段はいがみ合っていても、気持のどこかでお互いに認め合っているのでしょう。まあ、不思議というか、私みたいに単純ではなく、きっと複雑で奥深い精神構造をしているのでしょう。現在、春子が元気でいられるのも、ラニー博子との確執があって、「あいつには、負けへんで!」という気持の張りが、春子に長生きする生命力を与えているのかもしれません。
(ええかげん。仲ようしてほしいもんですわ。)
春子の老い
春子は40歳台後半ぐらいから、特に右目の水晶体に白い点が見られるようになりました。気にはしていたのですが目薬も嫌がるのでそのまま観察を続けました。2000年5月に仲の良かったよかったユリ子が49歳でなくなってからは、急に白い点が大きくなり始め、徐々に右目が見えなくなっていきました。今では、
老人性白内障のため全く見えなくなってしまいました。我々、飼育係も右側から春子に近づく時は、特に注意をして、声をかけたり、軽く手で触りながら、そばに居ることを認識させるようにしています。しかし、とても危険なことなのです。春子が少し体を右に振っただけでに我々に当たってしまうことがあります。「こら!当たったやないか」と叱るとバツ悪そうに鼻を丸めて、目をしょぼつかせ、首を左右に振って「エエやん!許してーなあ」言っているかのように甘えてきます。「こっちも気を使ってるんやから、春子もちょっとくらい気を使ってや」と思いながらも、腹が立たないのはなぜでしょうか?
もう一つ、春子の老いは側頭筋が衰え、噛む力が衰えてきたことです。また、最後の臼歯が浮き上がり、何時、抜け落ちてもおかしくない状態になっていることです。(ゾウの臼歯は一生に6回生え換わります。)このためか、ストレスのためかよくわかりませんが、最近、少しやせてきています。食欲もあるし、元気なのですが、背骨、肩甲骨、骨盤がやたら目立つようになってきました。これも老化なのでしょう。
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白内障で真っ白になった右目はたくさんの出来事を見てきたのでしょう。 |
腹痛になった春子のお腹をマッサージする筆者。重労働です! |
ゾウの引越し
2003年4月新しいゾウ舎が完成し、2頭のゾウを旧ゾウ舎から新ゾウ舎に引越しさせることになりました。新ゾウ舎と旧ゾウ舎の間に約10mの移動のための仮設通路を作りました。たかが10m、されど10m。2頭のゾウを引越しさせるのは、たいへんな仕事です。何しろ2頭は旧ゾウ舎から出たことはないのですから。ゾウたちの前足にペレー(足かせ)をつけ、ステンレス製の鎖をかけてチェーンブロックで引っ張り移動させるのです。まあ、これは大変!ゾウたちにとって初めて歩く道なのですから。不安がいっぱい、勇気を出して踏み出すまで時間がかかりました。一歩、踏み出せば引っ張ることができるのですが、この一歩がなかなか出ません。
ラニー博子は素直に前向きで、でもビビリながら走って移動しました。寝室は神経性の軟便と尿の海になってしまいました。
一方、春子は後ろ向きで移動。「私は春子よ!誰だと思っているのよ!」と言わんばかりに余裕をもって移動しました。ほんとうは、とても怖かったのでしょうが、そうゆうそぶりは一切見せず、「私は自分から進んで行ったのよ」とゆう感じでした。新しい寝室に入って余裕をもって、餌を食べていました。(さすが春子!リーダーだね。)
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若き日の春子と若き日の筆者。
思えばいろんな時間を共にしてきました。
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再度、私にとって春子ってなんだろう
春子について書くことはいくらでもありますが、私にとって春子はやっぱりお婆ちゃん、お母さん、妹、娘。今の自分の気持、生活、仕事、家族、友人いろいろなことを考えさせてくれる、自分の鏡のような存在です。春子と接しているといろいろなことを考えてしまいます。私にとって春子は私自身、我々飼育係の一人一人を映し出したくれる鏡のような存在です。
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