ゴーゴの飼育日誌A


 ホッキョクグマのゴーゴが、突然、遊具に興味を示さなくなりました。2009年2月頃のことでした。それまでは良く遊んでいたため、元気が無いのかと心配しましたが、そうではありません。食欲は旺盛で、特に、鯉などを与えた時の目の鋭さは若い力がみなぎっていて、雄のホッキョクグマの強い生命力が伝わって来ました。動物園では動物が豊かな生活が送れるような工夫(以下:エンリッチメント)しています。その一環として、ホッキョクグマでは、様々な遊具を入れて退屈しないようにするとともに、野生での行動を引き出す工夫をしています。遊具のエンリッチメントは、ホッキョクグマの運動になるだけではなく、認知能力の刺激にもなり、飼育するうえで重要であるといえます。 
 しかし、遊びたくないのに遊ばせることは、遊具を無駄に浪費するように思えました。そこで、ゴーゴが遊ばなくなった2009年2月から今まで遊びを中心に組み立ててきたエンリッチメントを、これまで少し控え目にしてきた採食(エサの与え方の工夫)によるエンリッチメントに切り替えることにしました。

遊具に目もくれず同じところをひたすら行ったり来たりするゴーゴ

遊具に目もくれず同じところをひたすら行ったり来たりするゴーゴ(2009年2月から6月頃までこのような常同行動が 目立った)

●鯉のエンリッチメント

 採食のエンリッチメントを考えるには、野生のホッキョクグマの採食習性から手掛かりを探し出さなければなりません。野生のホッキョクグマは、主にアザラシを獲物にしています。アザラシは俊敏で頭もいいので、身体能力が高いホッキョクグマといえども、捕まえるのに大変な苦労をしていることがわかりました。アザラシを与えることはできないので、ホッキョクグマが身体能力を活かし、野生本来の狩猟行動を発現できるようにと、活きた鯉を与えています。もちろんアザラシと鯉の捕食方法は別の物ですし、環境も異なります。また野生のホッキョクグマが魚を捕食しているところはあまり観察されていないようです。
 しかし、泳ぎが得意なホッキョクグマが、飼育下で泳ぐ魚を追いかけたり、陸から飛びついたりすることは、狩りの感覚を磨くことや、運動不足の解消にもつながり効果のあるエンリッチメントであると言えるでしょう。けれども、問題点がないわけではありませんでした。幼くて狩りの技術が未熟だった時は大きな鯉を捕まえるのに苦労していたゴーゴも、成長するとともに簡単に鯉を捕まえるようになってきたのです。
 これではゴーゴの運動にはなりません。ゴーゴが鯉を簡単に捕まえてしまう原因を考えた結果、鯉の与え方に問題があることが分かりました。鯉をお客さんに見えやすいように1匹ずつ投入していたので、ゴーゴは鯉に向かってプールに飛び込み、一瞬で捕まえてしまっていたのです。お客さんは、ゴーゴが鯉を捕まえる瞬間や、重さ1kgの大きな鯉をおいしそうに平らげる姿を見て満足されるものの、鯉のエンリッチメントは本来の目的である、運動量を上げるということとはかけ離れたものになってしまっていました。これではいけないと思い、方法を再検討しました。
 鯉のエンリッチメントでゴーゴの運動量を上げるためには、泳ぐ鯉を探したり追いかけたりする時間を長くする必要があります。そのために、鯉の捕食を難しくして、ゴーゴに野生のホッキョクグマのように獲物を捕まえるのに苦労してもらうことにしました。それではいくつかの工夫を紹介します。

リンゴなど動かないものは労せず食べることができる

リンゴなど動かないものは労せず食べることができる
(写真提供:松宮紀子)

●鯉の数量と運動量

 鯉のエンリッチメントで、ゴーゴが鯉を探したり追いかけたりする時間を増やすために、鯉の数を増やすことにしました。しかし、鯉をたくさん与えれば良いわけでもありません。栄養面も考慮しなければなりませんし、エサを購入する予算にも限りがあります。そこで鯉の数は増やすが大きさを小さくすることにしました。
 これまでの鯉は1週間に4匹4kg(1匹あたり約1kg)程度の大きさでしたが、4kg当たり20〜23匹(1匹あたり約200g)の小ぶりの鯉に変更しました。さらに2009年10月からは平日にも鯉のエンリッチメントを行えるように1週間あたり4kg与えていた物にさらに4kg増量し、1週間に8kg約45匹に変更しました。このため鯉を与える機会をより多く増やすことができました。これでゴーゴが1週間に追いかける動く目標(鯉)が、たったの4匹から約45匹に増えたことになります。

★ただし、1カ月に1度、第3土曜日に入荷する鯉は小さい鯉と比較のため今までどおりの大きさ(4kgで4匹)の大きい鯉を与えることにしました。
また、季節により入荷する鯉の大きさが変わり数量が異なることがあります。

●鯉の与え方に変化をつけると行動も変わる
・1度に20匹プールに投入した場合

 鯉はプールに投入された瞬間に環境の変化に対応するのに少し時間がかかります。1匹目は比較的簡単に捕えることができるのですが、身の危険を察知した残りの鯉を捕まえるのはゴーゴにとっても簡単ではありません。この方法では鯉はいつも同じように動いてはくれないので最後の鯉を捕まえるまで1時間から時には3時間はかかるようです。

鯉を見つけ、瞬時に対応するゴーゴ

鯉を見つけ、瞬時に対応するゴーゴ
(写真提供:松宮紀子)

・投入する間隔をおいて不定期に投入した場合
 採食時間をより長くなるようにと、2〜5匹を朝から夕方までの展示時間中にゴーゴの不意を突くように時機をみて投入してみました。この方法ではプールにいる鯉を全て捕まえた後でも、鯉がまだいないか確認するような行動が見られました。ゴーゴの状態を見ながら鯉を投入することによって展示時間中の大半を鯉の採食に費やす姿を見ることができました。
 下のグラフではゴーゴの行動を示しています。鯉を探したり追いかけたりしていた割合を示す青の線(小鯉)が常に高い割合を示していることが分かります。

グラフ1

 この日は約20匹の鯉を7度に分けて投入しました。鯉を投入できなかった13:00頃以外は採食に費やす時間が増えています。探索する行動も増えました。また鯉を投入する私を見るたびに、まるで獲物を発見したように、身を低くして、私から姿を隠すような「獲物をねらう」姿が見られました。

飼育員が近くにいると気になる様子

飼育員が近くにいると気になる様子
(写真提供:松宮紀子)

・鯉に逃げ場所を作る
 ゴーゴのプールと排水ポンプ室が隣接していて1m四方の排水口で繋がっています。そこは構造上ゴーゴの手の届かない場所があるのですが、小さな鯉ではそこをうまく利用しゴーゴの攻撃をかわす逃げ場所にしています。このことが採食時間を長くするのに貢献している要因になっています。鯉は危険を感じると陰に隠れる習性があるようです。鯉はこの逃げ場所に長時間ここに留まることで生き延びることができます。この鯉の習性をゴーゴはよく観察しており戦略を立てるようになりました。逃げ場所に入った鯉をゴーゴはどのように捕えるのでしょうか?鯉の逃げ場所で取ったゴーゴの行動は非常に理にかなったものなので、またの機会に詳しく報告したいと思います。

飼育員が近くにいると気になる様子

排水口に逃げ込んだ鯉を捕まえようとするゴーゴ
(写真提供:松宮紀子)

・鯉のエンリッチメントと展示効果
 鯉を小さくすると見た目のおもしろみや迫力が半減する印象もありました。しかし鯉の数量を増やすことにより、今まで土曜日に1回15分程度の鯉の採食が、週3〜4日することができるようになり、運動量と採食時間は大幅に増加して、より多くのお客さんにゴーゴの鯉を狩猟する場面を見ていただく機会も増えたのではないかと思います。ゴーゴは小ぶりの鯉に対して素早い運動能力とスタミナを見せてくれました。回を重ねるごとに捕えるのがうまくなってきたように思えます。苦労して得た食べ物は格別においしいはずです。また、今まで見ることのできなかった行動は頭脳的でダイナミックであり、改めてホッキョクグマの持つ能力に感心しました。

飼育員が近くにいると気になる様子

小さい鯉を追いかけるゴーゴ
(写真提供:松宮紀子)

・ゴーゴの肉氷によるエンリッチメント
 鯉のエンリッチメントにより、ゴーゴの行動を改善することができました。しかし、年間を通じて安定しない欠点もありました。春から秋にかけて素早い動きでゴーゴを手間取らせる鯉ですが,冬場は水温が7℃以下になると活性が弱まり動きが鈍くなるのです。名手ゴーゴにかかれば動きの鈍い鯉など捕えることは簡単です。
 そこで他に何か良い方法がないか検討しました。すると、各地の動物園で、跳躍力に優れたトラのエンリッチメントとして肉を高い所に吊るして与える方法が見つかりました。これは限られた飼育スペースでお金をかけずに動物の能力を引き出す優れた方法なので、ホッキョクグマにも応用できないかと考えました。
 トラのエンリッチメントをホッキョクグマでやったらどうなるか? トラのエンリッチメントに少し工夫を加えてホッキョクグマ用にアレンジしました。それでは、その方法を解説しましょう。
 バケツにゴーゴが大好物の牛肉2kgに紐を巻き、水を適量入れて凍らせました。(以下肉氷)紐のあたりの氷を削ってプールの上に、ゴーゴがジャンプしても届かないところに設置しました。皆さんもうお分かりですね。紐は氷が解けるに従って時間がたつにつれ長くなっていきます。肉氷はまた気温やプールの水位また設置場所などで状態や調子が変わってきます。鯉でも触れたとおり採食系のエンリッチメントを行うとき簡単すぎたらあまり意味ありません。

肉氷に飛びつくゴーゴ

肉氷に飛びつくゴーゴ

 観察力のあるゴーゴは回を重ねるうち紐が長くなることに気づくと考えました。届くことに気がつくと行動も活発になりました。この肉氷の優れた点はこちらで採食時間を調整できるところにあります。今のところ2時間程度を目安にゴーゴが肉氷に届くように調整するようにしています。新しいエンリッチメントを導入するに当たり、動物の行動を予測しますが、肉氷でゴーゴは期待以上の行動をとりました。その驚愕の行動とは?肉氷の攻略法はまたの機会に報告しますのでお楽しみに!
 鯉と肉氷のエンリッチメントがどの程度効果を上げているのか、データでも検証してみようと思います。エンリッチメントの成果を検証するため、1日目(2010年1月26日)はおもちゃのみを与え、2日目(2010年1月27日)は1日目と同じおもちゃに加えて、鯉と肉氷のエンリッチメントを行いました。その行動を比較したのが下のグラフです。

グラフ2

 1日目は、朝から複数の遊具を置いてありました。朝少し遊んだだけで、行動の大半は常同行動でした。

グラフ3

 2日目は、前日と同じ遊具を入れた状態で、午後から9匹の鯉を一度に投入しました。しかし、気温が低かったため、鯉は活性が悪く約20分で捕獲されてしまい、期待した程の採食時間の延長は実現しませんでした。しかし、14:30から行った肉氷は寝室に入るまで集中して取ろうとするなど成果が上がっています。

1日目も2日目もあまり遊具であそびませんでした

1日目も2日目もあまり遊具であそびませんでした

ジャンプしても届かない目標を攻略することはできるのか?

ジャンプしても届かない目標を攻略することはできるのか?

・午後はゴーゴが退屈する時間
 日々の観察や行動調査からゴーゴが退屈する時間帯は午後から寝室に入る時間であると前回説明しました。(2009年9月の“なきごえ”ネット版をご覧ください)
 午前中のゴーゴは活発で自らよく遊びますが、午後にかけて次第に退屈していき、遊びの行動を逆転して常同行動が大半を占めていくのです。ゴーゴにはそのような行動パターンがありますので退屈する傾向がある午後の時間帯に積極的なエンリッチメントを実行すると効果があると考えています。ゴーゴの行動を観察して検討した結果、最近では採食系のエンリッチメントを行う時間は基本的に2時以降にするようにしています。しかし、変化をつけるため朝からやる場合もあります。また、採食系のエンリッチメントは過剰にやりすぎる食べ過ぎなど、健康上よくない点もあるので、行わない日もありますのでご了承ください。

・ゴーゴの遊び
 2009年のゴーゴの行動を振り返ってみると2009年2月頃から6月頃まで遊びが低調でしたが、7月頃からまた活発に遊ぶようになりました。これは一体なぜなのでしょうか?次回は遊びのエンリッチメントの対策についてのお話です。お楽しみに。

(上野 将志)