歴代のスターたち

歴代のスターたち


1915年1月1日に天王寺動物園が開園し、今年の1月1日に開園百数年を迎えました。 その間、数え切れない動物が飼育され入園者の皆さんを楽しませてくれ、そして旅立って行きました。その中の往年のスターたちの一部を紹介しましょう。

(構成:西岡 真)

 アジアゾウElephas maximus 雄:団平

アジアゾウElephas maximus 雄:団平

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飼育期間:1914年12月~1926年10月12日
団平は開園時から天王寺動物園で飼育されていました。しかし、団平が大阪の地を踏んだのはそれ以前で、1903年に現在の天王寺公園から新世界のエリアで開催された第5回内国勧業博覧会の余興動物園で展示されていた時のことでした。博覧会終了後、府立大阪博物場に買い取られ、附属動物檻(どうぶつかん)で展示されていましたが、1913年の閉鎖に伴い大阪市に移管されました。

 

 チンパンジーPan troglodytes 雌:リタ

チンパンジーPan troglodytes 雌:リタ

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飼育期間:1932年7月23日~1940年7月23日
戦前の天王寺動物園を知っている人は必ずと言っていいほど、このリタの名演技のことを覚えておられます。当時、同時期に飼育されていた雄のロイドと共に人気を博しましたが、その後の日本の動物園が娯楽中心になって行った先駆けを担ったものの今では負の歴史として評価されています。リタは日本で初めて妊娠しましたが、死産に終わりそれがもとで死亡しました。全国に馳(は)せた名声もたった8年で終わりました。

 

 エミューDromaius novaehollandiae 

エミューDromaius novaehollandiae 雄

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飼育期間:1936年8月26日~1978年8月29日
第2次世界大戦の戦況が悪くなり、餌(えさ)不足で次々亡くなる中を生き抜き、戦後も長い間皆さんに親しまれました。「敬老の日」には幼稚園児から好物のプレゼントがあったりしましたが、晩年は冬になると自力では立ち上がれなくなり、採食も飼育担当者の助けを借りながらも何回かの冬を乗り切り当時の天王寺動物園の最長飼育記録の42年を記録して亡くなりました。生前「エミューばあさん」として親しまれていましたが、死後、解剖で雄であったことが判明しました。

 

 アジアゾウElephas maximus 雌:春子
アジアゾウElephas maximus 雌:春子

アジアゾウElephas maximus 雌:春子

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飼育期間:1950年4月14日~2014年7月30日
春子が天王寺動物園にやって来たのは第2次世界大戦が終わって5年後のことでした。終戦時、ほとんど動物が居なくなり「動物園ではなく静物園だ」と言われた天王寺動物園に戦後初めて外国から輸入された動物で、戦後の天王寺動物園の復興のシンボル的存在でした。以来64年間、常に天王寺動物園を代表する動物として皆さんに親しまれてきましたが、百周年を前に昨年7月30日に推定66歳で亡くなりました。

 

キーウィApteryx australis mantelli 雄:ニュージー

キーウィApteryx australis mantelli 雄:ニュージー

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飼育期間:1970年7月9日~1993年4月10日
1970年の大阪万国博覧会を記念し、ニュージーランド政府から贈られました。同時に来園した雌のランドは、3カ月余りで死亡しましたが、ニュージーは長い間1羽で飼育されていました。旧キーウィ舎は昼夜逆転する設備がなったので、1985年に夜行性動物舎がオープンするまでは、入園者の皆さんにご覧いただくことはできませんでした。キーウィは1982年に3羽、1988年に1羽、1991年に1羽が来園し、日本では唯一の飼育園としての歴史が続いています。

 

クロサイDiceros bicornis michaeli 雌:サッちゃん

クロサイDiceros bicornis michaeli 雌:サッちゃん

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飼育期間:1972年2月1日~2014年1月17日
サッちゃんは天天王寺動物園で生まれ、1977年にロスアンゼルス動物園から来園した雄サイオウとの間に1頭、1989年に広島市安佐動物公園から来園したトミーとの間に6頭を出産し、5頭が成育しています。1999年に出産した雄の子サミーは遠くイギリスのチェスター動物園に渡り、子孫を残しています。

 

ボルネオオランウータンPongo pygmaeus 雌:サツキ

ボルネオオランウータンPongo pygmaeus 雌:サツキ

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飼育期間:1972年6月1日~2012年9月25日
大阪税関からの保護依頼で来園した時、まだ推定年齢1歳の赤ちゃんでした。1984年2月23日に初めて赤ちゃんを産みましたが、初産のため興奮したのか赤ちゃんを投げつけ死なせてしまいました。1986年の2産目はしっかり赤ちゃんを抱いていたのですが授乳ができず、やむなく赤ちゃんを取り上げ人工哺育で育てました。1987年の3産目は自ら授乳し赤ちゃんを育てましたが、離乳が上手くいかず赤ちゃんは1年で亡くなりました。その後、配偶者に恵まれませんでしたが、2009年に新たな雄が来園し妊娠しましたが、死産に終わりました。

 

ホッキョクグマUrsus maritimus 雌:ユキコ

ホッキョクグマUrsus maritimus 雌:ユキコ

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飼育期間:1980年12月15日~2004年5月2日
 1986年11月10日に3頭の赤ちゃんを産みましたが、翌日には3頭とも死亡しました。翌年の11月16日に1頭出産し無事に育ちました。当時、国内では北海道の動物園以外での成育例はなく、本州初の快挙でした。ユキコは1998年まで8回出産し4頭を生育させています。その飼育繁殖技術が昨年のバフィンの出産育児に繋がっています。

 

コアラPhascolarctos cinereus 雌:ミドリ

コアラPhascolarctos cinereus 雌:ミドリ

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飼育期間:1990年4月25日~2005年2月4日
ミドリはオーストラリアのメルボルン動物園からコアラ第2陣として来園し、1991年7月26日に天王寺動物園としては初めて繁殖に成功しました。3頭赤ちゃんを産んでいます。第1子の雄ミク、1992年9月25日生まれの第2子の雌クミ(写真の子)は今も健在で、これは日本の高齢コアラの第1位と第2位です。