カリフォルニアアシカの飼育記録について

カリフォルニアアシカの飼育記録について


 天王寺動物園では、雄のミークを筆頭に、8頭のカリフォルニアアシカ(以下、アシカ)を飼育しています。昨年6月17日と20日に新たな命が誕生しました。17日に生まれた子(エルサ:2014年6月17日生まれ 雌)の現在までの飼育状況についてお話したいと思います。

 昨年6月17日に、父のミーク、母カオルの間に生まれました。出産時9.2kgと標準的な体重で、母親に連れられ7日後には初めて水に入ることが見られました。水に入るといっても水遊びですが。その後順調に母親の母乳で大きくなっていきましたが、9月10日を境に生活環境は劇的に変化することとなりました。それはなぜか、母親のカオルが死んでしまったからです。

 アシカの寿命は約30年で、母親のカオルは1997年7月1日生まれの17歳なので、まだまだ元気なはずでしたが、突然死亡してしまいました。アシカプール前まで餌(えさ)を持っていくと、前日まではいつも通り早く餌(えさ)を食べさせろと怒っていましたので、飼育員としては「なぜ?」という思いしかありませんでした。死亡原因は、肺炎でした。

 しかし、いつまでも母親の死を悲しんでいるわけにはいきません。なぜなら子のエルサを育てるという仕事が待っていたからです。天王寺動物園では、通常アシカは生まれてから約9カ月後に離乳をします。ということは、生まれて3カ月のこの時点では、まだまだ母親の母乳が必要な時期ということになります。母親の死後2日目の9月12日に子どものアシカの離乳用に使っているプールへ移し、人工哺育を開始しました。水生哺乳動物用ミルクを人用の哺乳瓶を使い飲ませましたが、生まれて約3カ月間、母親の乳首からミルクを飲んでいたエルサにとって、口を押さえられ、人用の哺乳瓶から味も質も違うミルク(アシカの母乳は冷たい海水から身を守るために非常に脂肪分が多く、また母親が水中を泳いでいるときに勝手に流れ出さないように固形物のような硬さをしている)を飲むことは期待できません。そこで、ゴム製のカテーテル(チューブ)を口から胃の中へ入れ、ミルクを流し込みます。しかし、自分から進んでカテーテルを飲むはずもなく、無理やり口を開けさせ突っ込んで行きます。

 ここでまたトラブルが発生しました。口を開けさせるとき、アシカの歯は非常に鋭く、手でこじ開けると人がけがをする恐れがあったので、タオルを上あごと下あごにそれぞれ掛けて口を開けました。そんな中、子どもなので骨がそんなに強くないことは分かっていたのですが、9月15日に思ってもいない左下あごの骨折が発生しました。すぐに緊急手術を行いましたが、実はそれよりも大変だったのが翌日16日からの哺乳でした。もし、また同じように骨折などが起これば治療が難しく命が保証できなくなることがあるために、下あごに触れることなく、口にカテーテルを入れるという非常にデリケートな作業が続き緊張の連続でした。

 

以降は、主なことをかいつまんでお話したいと思います。

 

9月22日

ストックしてあった水生哺乳動物用ミルクが底をついたため、犬用ミルクを使用し、脂肪分を補うためバターを入れ、同時に離乳の訓練としてシシャモの身(骨・頭・鰭をのぞいたもの)をミキサーにかけた流動食のようなものを混ぜて与えました。

9月25日

エルサの便が柔らかくなってきたため、外国製の野生動物用ミルクを与えるようにしました。

9月29日

この日から、カテーテルを口に少し入れるだけで自分から口を開けたため、首を押さえるだけでカテーテルを入れていくことができるようになりました。

10月23日

今までシシャモの身の部分のみをミキサーにかけていましたが、この日からシシャモを丸ごとミキサーにかけ、1回に500g、合計1kgをミルクと混ぜて与えるようにしました。

11月19日

餌(えさ)の量が足らないのか、写真のように床に落ちた餌(えさ)を自分から進んでなめるようになりました。そこで、少量の餌を床の上に置いてみると必ず舐めることがわかったため、11月23日よりカテーテルを使うのを止め、置き餌(えさ)に替えました。

床に落ちている餌(えさ)をなめるエルサ

床に落ちている餌(えさ)をなめるエルサ

12月9日~

食べる量も順調に伸びてきたために、次なるステップ、シシャモからアジへの切り替えを試し始めました。天王寺動物園では、アシカやペンギンなどの海で生活している動物の主食はアジです。シシャモは「ペンギンのごはんタイム」の時に使うだけで、ほぼアシカに与えることはありません。そのため、エルサにもアジに慣れてもらう必要があります。しかし、どちらが「おいしい」のかアシカはよく知っているので、なかなかアジで作った餌を食べてくれません。根気よくシシャモの量を少しずつ減らし、アジの含有量を増やしていきました。

2015年1月1日

記念すべき天王寺動物園開園100周年を迎えました。今年は特にアジが不漁で、しばらくは非常に小さいアジしか入ってきませんでした。1回の給餌量である500gのアジの三枚おろしを作るのに、約2時間かかりました。
1日の仕事の大半をアジの三枚おろしに使うわけにもいかないので、冒険をするつもりで、アジに慣れさせるよりも前に、ミキサーにかけた流動食から固形物に慣れさせることにしました。そこで、少量のシシャモを約3cmにぶつ切りにしたものを与えてみると、すべて食べてくれました。

1月2日

餌(えさ)のシシャモをすべて切り身にすると、半分以上残してしまいました。

1月3日

前日の様子を見て、少しのシシャモで流動食を作り、残りの大部分のシシャモを切り身にしてまぜると、すべて食べました。
このころ、よく小さいお子さんが親指をくわえているのと同じように、エルサも自分の腰あたりに餌(えさ)を塗り付けて、それに吸いつくような行動が見られていました。きっと、仮に3㎝くらいの物シシャモの切り身も、本人は食べているのではなく、吸い込んでいるつもりなのだと思います。

練り餌(え)をなめたエルサ

練り餌(え)をなめたエルサ

1月4日

この日から本格的にシシャモをアジに替えていく戦いが始まりました。シシャモをミキサーにかけたものを少し用意し、シシャモとアジの切り身の量を日ごとに変化させながら、ほぼ1カ月間かけて全量をアジに替え、さらにぶつ切りから丸ごとにしていきました。苦労した甲斐あって2月1日には離乳が成功し、現在は3kgのアジをそのまま丸ごと食べるようになりました。

眠るエルサ

眠るエルサ


最後に、下あごを骨折させ、エルサには悪いことをしたのですが、いろいろと良い経験させてもらい感謝しています。親の急死から始まり、経験不足からの骨折、人工哺育などこれからのアシカの飼育にといって貴重な財産となるでしょう。今後、どこの動物園か水族館に出て行くでしょうが、たくさん子どもを出産してほしいと願っています。

(岡田 博之)