天王寺動物園「なきごえ」WEB版

なきごえ 2018年04月号 Vol.54-02

ラニー博子を取材して

【春子からラニー博子 5年にわたる取材】

 振り返ると私が、ラニー博子(以下博子)の取材を始めたのは2013年のことです。博子と40年以上ともに暮らしてきた、もう1頭のアジアゾウ・春子のドキュメンタリーを作り始めたことがきっかけでした。当時、博子は、仲が悪かった春子の耳やしっぽを引っ張ったり、お客さんに向かって怒ったように鼻をすごい勢いで振り回すなど、気性が激しい一面がありました。しかし、一方で、博子は、さびしがりやでもありました。春子について飼育員さんにインタビューをしていた時、博子は「私にもかまって」というように耳をパタパタさせて泣いていました。

 忘れられないのは2014年7月30日、春子が寝室内で倒れて亡くなった日です。飼育員の皆さんが必死に春子を助けようとしている時、運動場にいた博子は、異常を感じたのか飼育員さんの手をわずらわせてはいけないとわかっているようでした。そして、泣きわめくこともなく、ずっとおとなしくしていたのです。翌日、飼育員の尾曽さんが博子に青草をあげた時、博子は尾曽さんの服に鼻をあてて泣きました。春子の解剖にあたっていた尾曽さんの服のにおいから、春子の死をさとったのかもしれません。

2014年 春子が死んだ翌日に泣く博子

2014年 春子が死んだ翌日に泣く博子

 春子の死後3年半、取材して思うのは、怒ったり、泣いたり、不器用だったり、時に飼育員さんを困らせたりと、博子は妙に人間っぽさを感じるゾウでした。しかし、それは逆にいえば、博子の飼育の難しさでもあったと思います。陸上最大の野生動物であるゾウが怒ったり、機嫌を悪くすれば、飼育する側は大変です。60歳を越え、おだやかだった春子の取材では、なかなかわからなかったことでした。また去年の夏ごろからは足が悪くなります。その間、化膿(かのう)した足の消毒、注射を打つ様子を取材していましたが、ゾウを治療する難しさも目の当たりにしました。

 

【倒れる】

 2018年1月24日。午前10時ごろ、私は天王寺動物園に来ました。その2日前、博子は運動場に出ていたので、ちょっと様子を見るくらいの気持ちでした。しかし、わずか2日間のうちに足の状態が急激に悪化。博子は自分の寝室から隣の部屋に移動することもできず、立っているのがやっとでした。

  そして、午後3時50分ごろ、博子はしりもちをつくように倒れます。4年前、春子が倒れた時は誰も、その瞬間を見ていませんでしたが、博子は、私たちの目の前で倒れました。その時、博子は、どうしていいのかわからないような、うろたえた目をしながら上半身だけを動かしていました。そして、夕方5時前、しりもちをついた状態から完全に横になります。

横になった直後の博子

横になった直後の博子

 重い体重を支えていた足の痛みからようやく解放されたからか、博子は眠りにつくように目を閉じ、ホッとした様子だったことが忘れられません。その日の夜は、一旦、休ませ、翌25日の朝から獣医師の皆さんが前足を治療。また、ゾウは倒れたままだと、いずれ自らの重みで肺が圧迫され呼吸が厳しくなるため、午後からは、飼育員の皆さんが懸命に体を起こそうとしました。しかし、しりもちをついてから丸1日経った午後5時2分、ついに息を引き取りました。

息を引き取った博子

息を引き取った博子

 

【最後のミーティング】

 博子が旅立ってから1ヵ月近く経った2月21日。飼育員の皆さんが参加する月1回の定例ミーティングがありました。博子の死後、初めてのミーティングで5人が順に博子について思いを語ります。

博子の死後、開かれたミーティング

博子の死後、開かれたミーティング

  倒れてから亡くなるまでの2日間、インフルエンザで出勤できなかった1年目の藤本さん。「死んでから、あいさつする形になり、博子には申し訳なかった」「この1年の経験を今後も生かしていきたい」。

 同じ1年目の三宅さん。倒れてから亡くなるまでの2日間、様々な作業にあたりました。「次、何をしなければいけないのか、次、何をしようかと冷静に考えていた。しかし、博子の死については、急すぎて、自分の中では考えがまとまっていない」

 ゾウ担当3年目の河合さん。博子が倒れた日のことを話し始めると、タオルで目を覆い言葉を詰まらせます。「あかん、すいません、先にいってください」。博子のことをミーティングで話し合うのは、この日が最後になるため、思いがこみ上げたのです。河合さんがゾウの担当になったのは春子が亡くなった後の2015年から。ゾウの飼育は博子しか知りません。去年12月にインタビューした時、「自分は春子を知らないので、やっぱり博子に愛情がある。かわいい部分がいっぱいあるし気になって仕方がない」と話していました。

 河合さんは博子が亡くなった時も言葉にならないほど泣いていました。 

 13年目の尾曽さんは「あと10年くらい生きてくれたら、河合さん、三宅さん、藤本さんにゾウの直接飼育(飼育員がゾウと同じ空間に入り直接触れながら世話をする飼育法)を経験してもらえたが、残念ながらできなかった」「春子の経験を生かして、(倒れた博子を)立たせたり、寝返りを打たせてやれたらよかったけど、それが最後できなかった。博子には申し訳なかった」と語りました。

 そして、14年目の西村さん「僕の中では時間が経てば経つほど、“ゾウを救えなかった”“博子を死なせてしまった”というダメージが強くなっている。すごい責任も感じている。博子がいなくなったダメージは死んだ直後よりも今の方がきつい」と話しました。西村さんは博子が倒れてから一切、感情を表に出さず、目の前の作業に取り組んできましたが、現場の責任者として博子の死を背負っていたのです。

 

【最後に…】

 ドキュメンタリー映画「天王寺おばあちゃんゾウ 春子 最後の夏」を制作した時、私は春子の魅力にずいぶんと助けられた気がします。動物園のスーパースターとして、春子は老いてもなお貫禄がありました。

 一方の博子。過去5年間、撮影した映像を私は今、少しずつ整理しています。はたして編集した時、どんなドキュメンタリーになるのか…。怒ったり、すねたり、泣いたりと、博子にとってあまりいい場面はないかもしれません。でも、不器用ながら一生懸命がんばっている博子。そして、どんなことがあっても博子に真摯に向き合ってきた飼育員の皆さん。ドキュメンタリーには間違いなくそんな博子と飼育員の皆さんの姿が描かれると思います。

(ひとみ つよし)


テレビ大阪 カメラマン 増田 健

 本来あまり他者をオリには近づかせないゾウではありますが、慎重に接することにより、徐々に受け入れてくれた春子さんと博子さん。2頭のお陰で数々の貴重な、そして愛くるしい映像をカメラに記録し収めることができましたことには、本当に感謝の気持ちで一杯です。博子さんは昨年夏ごろから両前足の化膿が悪化し、歩くことが難しくなってきました。良くなることを願い撮影を続けました。しかし、春子さんが逝って3年半。こんなに早く別れの時が来るなんて、悲しみに絶えません。すぐそこにいることが当たり前のように思えることにもっと感謝するべきであったことを忘れずに、博子さんが安らかであることをお祈りいたします。ありがとうございました。

(ますだ けん)


ページの上部へ